ハリーポッター、一番泣ける登場人物は、あなたは誰? [映画]
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大人から子供まで見ているハリーポッターシリーズ。
通称ハリポタ。
私も全巻読み、そして途中からは和訳を待てずに原書で読んだクチなのだが(ちなみに、ハリポタは続きが知りたい!という意欲が信じられないくらいにあったのか、最後まで読み通せた初めての本である。それからは原書も色々読めるようになったけど。)、これ、子供用?と信じられないほど、残酷な場面があったり、悲しい別離があったりする。
特に最後の巻は、私はティッシュひと箱がなくなる勢いで読み、そして泣いた。
それくらいに、泣けるシーンが満載だったのだ。
ハリポタの中で、泣けるシーンというのは勿論登場人物の死、も勿論なのだが、他のシーンでもちょっとした一言で泣けてしまったりもする。
でも、一番泣けるのはやっぱり重要人物が死んでしまった時だけど・・・。
あなたは、ハリポタの中で、誰の死が一番泣けましたか?
あえて登場人物(死んでしまう人)の列挙はしません。
もうみんな知ってるだろうけど、これから見る、読む、という人が0%だとは限らないので・・・。
ただ一人、私が一番泣けた人だけはカミングアウトしてしまおうと思います。
それは、ドビーです。
ドビーは、ハリーが大好きで大好きで、ハリーのためなら何でもして、自分を自由にしてくれたハリーのことを「選ばれたもの」じゃなくても信じていて(ここが、ハリーにとってはすごく重要な部分だと思ってます。ドビーだけが、ハリーが選ばれたものであろうとも、なかろうとも、全幅の信頼を寄せていたからです)、ハリーのために何か出来ることだったらなんでもしたい、と思っていました。
正直に言うと、本を読んだときに想像していたドビーとはちょっと違ったのだけど、それでも今では映画版のドビーの方にも慣れました。
そして、ドビーの悲しい死・・・・。
ハリーの究極のピンチに、現れたのは他の誰でもない、小さな小さな妖精、ドビー。
ドビーの遺体を連れ帰り、ハリーは海辺にお墓を立てます。
魔法を使って簡単に穴を掘るのではなく、ハリーは自分の手で、ドビーのお墓を掘ります。
そのお墓に、ハリーは言葉を入れます。
その言葉が、原書の方だと本当に号泣する言葉なんです。和訳だと、案外じわっくらいで済んでしまうんですけど、原書だと、違うんです。
原書には、こう書いてありました。
「Here lies Dobby, a Free Elf.」
この文で、私が感じたのは「a」の使い方でした。
別に、「Here lies Dobby, Free Elf」でも意味は通じるんです。でも、あえて「a」が入っている。
それは、ドビーが「たった一人の」、自由な妖精だから、どうしても「a」を入れなければいけなかったのではないか、と感じたからです。
もし私が訳すとしたら、
「ここにドビー眠る。たった一人の、自由な妖精」
と。
ドビーはそれまでの作品でも、要所要所に出てきて、ハリーを助けます。
何度でも助けます。ドビーは見返りを求めません。もう既に、ハリーに自由をもらった、というだけでドビーにしてみたら、一生かけても返せないほどの恩をハリーに受けているからです。
だから、ドビーは生涯かけてハリーに忠実で、ハリーに出会ってからのその一生を、ハリーのために捧げたのです。
命さえも。
ハリーポッターは、原書の方も子供用に(一応)書かれているので、高校まで卒業している人だったら、読める本です。和訳して下さった松岡佑子さんには大変申し訳ないのだけれど、和訳は「子供用」を意識しすぎたため、折角の大事な言葉、実はキモになっている訛り、言い回しなどが上手に使われていません。
ですので、英語力をあげてみたい、と思う方にはハリポタを読むことをお勧めします。
そして、存分に泣いてください。
たった一人の、自由な妖精、ドビーのためにも。
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大人から子供まで見ているハリーポッターシリーズ。
通称ハリポタ。
私も全巻読み、そして途中からは和訳を待てずに原書で読んだクチなのだが(ちなみに、ハリポタは続きが知りたい!という意欲が信じられないくらいにあったのか、最後まで読み通せた初めての本である。それからは原書も色々読めるようになったけど。)、これ、子供用?と信じられないほど、残酷な場面があったり、悲しい別離があったりする。
特に最後の巻は、私はティッシュひと箱がなくなる勢いで読み、そして泣いた。
それくらいに、泣けるシーンが満載だったのだ。
ハリポタの中で、泣けるシーンというのは勿論登場人物の死、も勿論なのだが、他のシーンでもちょっとした一言で泣けてしまったりもする。
でも、一番泣けるのはやっぱり重要人物が死んでしまった時だけど・・・。
あなたは、ハリポタの中で、誰の死が一番泣けましたか?
あえて登場人物(死んでしまう人)の列挙はしません。
もうみんな知ってるだろうけど、これから見る、読む、という人が0%だとは限らないので・・・。
ただ一人、私が一番泣けた人だけはカミングアウトしてしまおうと思います。
それは、ドビーです。
ドビーは、ハリーが大好きで大好きで、ハリーのためなら何でもして、自分を自由にしてくれたハリーのことを「選ばれたもの」じゃなくても信じていて(ここが、ハリーにとってはすごく重要な部分だと思ってます。ドビーだけが、ハリーが選ばれたものであろうとも、なかろうとも、全幅の信頼を寄せていたからです)、ハリーのために何か出来ることだったらなんでもしたい、と思っていました。
正直に言うと、本を読んだときに想像していたドビーとはちょっと違ったのだけど、それでも今では映画版のドビーの方にも慣れました。
そして、ドビーの悲しい死・・・・。
ハリーの究極のピンチに、現れたのは他の誰でもない、小さな小さな妖精、ドビー。
ドビーの遺体を連れ帰り、ハリーは海辺にお墓を立てます。
魔法を使って簡単に穴を掘るのではなく、ハリーは自分の手で、ドビーのお墓を掘ります。
そのお墓に、ハリーは言葉を入れます。
その言葉が、原書の方だと本当に号泣する言葉なんです。和訳だと、案外じわっくらいで済んでしまうんですけど、原書だと、違うんです。
原書には、こう書いてありました。
「Here lies Dobby, a Free Elf.」
この文で、私が感じたのは「a」の使い方でした。
別に、「Here lies Dobby, Free Elf」でも意味は通じるんです。でも、あえて「a」が入っている。
それは、ドビーが「たった一人の」、自由な妖精だから、どうしても「a」を入れなければいけなかったのではないか、と感じたからです。
もし私が訳すとしたら、
「ここにドビー眠る。たった一人の、自由な妖精」
と。
ドビーはそれまでの作品でも、要所要所に出てきて、ハリーを助けます。
何度でも助けます。ドビーは見返りを求めません。もう既に、ハリーに自由をもらった、というだけでドビーにしてみたら、一生かけても返せないほどの恩をハリーに受けているからです。
だから、ドビーは生涯かけてハリーに忠実で、ハリーに出会ってからのその一生を、ハリーのために捧げたのです。
命さえも。
ハリーポッターは、原書の方も子供用に(一応)書かれているので、高校まで卒業している人だったら、読める本です。和訳して下さった松岡佑子さんには大変申し訳ないのだけれど、和訳は「子供用」を意識しすぎたため、折角の大事な言葉、実はキモになっている訛り、言い回しなどが上手に使われていません。
ですので、英語力をあげてみたい、と思う方にはハリポタを読むことをお勧めします。
そして、存分に泣いてください。
たった一人の、自由な妖精、ドビーのためにも。
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